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第5話 君は金を受け取って消えた

last update Tanggal publikasi: 2026-10-03 11:35:36

第5話 君は金を受け取って消えた

 怜司が最初に取り戻した感覚は、痛みだった。

 頭の奥で鈍いものが脈打ち、胸のあたりには重たい石でも乗せられているような圧迫感があった。息を吸うたびに体のどこかが軋み、自分の体なのに、まるで借り物のように思うように動かない。

 目を開けるまでにも時間がかかった。

 白い天井。

 ぼやけた照明。

 耳元で規則正しく鳴る機械音。

 何が起きたのか理解できないまま、怜司は何度か瞬きをした。

「怜司?」

 聞き慣れた女性の声がした。

 ゆっくり顔を動かすと、母の沙耶がベッド脇に立っていた。

 いつも隙のない人なのに、その日は髪が少し乱れ、目の下に薄い影があった。

「……母さん」

 声を出した瞬間、自分の喉がひどく乾いていることに気づく。

「無理に話さなくていいの。先生を呼ぶから」

 沙耶がナースコールへ手を伸ばした。

 怜司はその手首をつかもうとしたが、腕はほとんど持ち上がらなかった。

「待って」

「何?」

「……美月は?」

 自分でも驚くほど、最初に出てきたのはその名前だった。

 事故のことも、仕事のことも、会社のことも聞かなかった。

 美月。

 最後に覚えているのは、移動中の車内でスマートフォンを見ていたことだ。

『帰りにプリン買う』

 そう送った。

 相手から、

『話聞いてる?』

 と返ってきて、それを見て笑ったところまでは覚えている。

 そのあと。

 大きな音。

 体が強く引かれた感覚。

 ガラスの割れる音。

 それから記憶がない。

「美月に……連絡した?」

 沙耶の表情が、ほんのわずかに変わったように見えた。

 けれど意識がまだはっきりしていなかった怜司は、それを深く考えなかった。

「今はあなたの体のことだけ考えなさい。かなり大きな事故だったのよ」

「美月は無事なんだな?」

「彼女は事故に関係していません」

「なら、呼んで」

「怜司」

「会いたい」

 自分でも子供じみた言い方だと思った。

 それでも、目を覚ましたら最初に会いたかった。

 事故に遭う前の自分にとって、それは当たり前のことだった。

 沙耶はすぐには答えなかった。

 ちょうどそのとき、医師と看護師が病室へ入ってきた。

「神代さん、分かりますか? ここがどこか認識できますか?」

 診察が始まり、美月の話はそこで途切れた。

     ◇

 事故から目を覚ました直後の数日間、怜司の生活は医師の指示だけで進んでいった。

 検査。

 睡眠。

 点滴。

 リハビリ。

 痛み止め。

 目が覚めている時間そのものが短く、何か考え始めても途中で眠ってしまう。

 けれど、美月のことだけは忘れなかった。

 意識が安定してきた二日目の午後、怜司はベッド脇に置かれた自分のスマートフォンを見つけた。

「それ、まだ長く見ないほうがいいわよ」

 沙耶が言った。

「連絡だけする」

「仕事なら、今は周りに任せているから」

「仕事じゃない」

 ロックを解除する。

 画面には大量の着信とメッセージが溜まっていた。

 取締役。

 友人。

 取引先。

 親族。

 事故のニュースを知った人間からの連絡が何十件も並んでいる。

 怜司はその中から一つの名前だけを探した。

 相沢美月。

 あった。

 何通も。

『今病院にいるよ』

『会えなくても待ってるから』

『起きたら連絡して』

 最後に届いていたのは、事故の翌日だった。

 怜司の胸が少しだけ軽くなった。

 来てくれていた。

 当たり前だと思っていたのに、その事実を見ただけで安心した。

 すぐに電話をかける。

 呼び出し音が鳴る。

 一回。

 二回。

 三回。

 出ない。

「寝てるのか」

 時間を見ると午後だった。

 仕事中なのかもしれない。

 そう考え、メッセージを送った。

『起きた。心配かけた。会いたい』

 短かった。

 長い文章を打つには、まだ頭が重かった。

 それでも十分だと思った。

 美月なら、これを見たら怒るだろう。

『それだけ?』

 そう返してくるかもしれない。

 あるいは泣きながら、

『馬鹿』

 と電話してくるかもしれない。

 怜司はそんなことを想像した。

 だが、その日のうちに返事は来なかった。

     ◇

 翌日になっても、既読はつかなかった。

「母さん、美月は病院に来てないのか?」

 怜司は朝一番に尋ねた。

 沙耶は持っていた書類から顔を上げた。

「来ているわ」

「なら、何で会えない」

「今は面会を制限しているからよ」

「俺は会いたい」

「医師からも安静にするよう言われているでしょう」

「一時間話したいって言ってない。五分でいい」

「怜司」

「会わせてくれ」

 事故前なら、沙耶とここまで正面から言い争うことは少なかった。

 母親と息子である以前に、神代家では互いに「言っても無駄なこと」を分かっていた。

 それでもこのときの怜司には引く理由がなかった。

「本人が来てるなら、会うくらい問題ないだろ」

 沙耶はしばらく黙っていた。

 そのあと、少し困ったように言った。

「彼女も、今は会うつもりがないそうよ」

 怜司は聞き間違いかと思った。

「……何?」

「相沢さん自身も、少し落ち着いてからにしたいと言っているの」

「本人がそう言ったのか?」

「ええ」

「おかしいだろ」

「何がおかしいの?」

「事故の翌日まで、会いたいってメッセージを送ってきてる」

「人の気持ちは変わるものよ」

「一日で?」

「大きな事故が起きたあとなら、なおさらでしょう」

 怜司は納得できなかった。

 事故に遭ったのは自分だ。

 怖い思いをさせたのは分かる。

 でも、それで会いたくなくなる理由がない。

「スマホ貸して。もう一回連絡する」

「体に障るわ」

「それくらいで悪化するなら、最初から渡すなよ」

 苛立ちを隠さず言い、怜司は再び美月へ電話をかけた。

 繋がらない。

 メッセージも未読のままだ。

 嫌な感じがした。

     ◇

 体が動くようになるにつれて、怜司は病室の外へ出たがるようになった。

 医師から許可された範囲で廊下を歩く。

 リハビリのついでではなく、美月がどこかにいるのではないかと思ったからだ。

 受付まで行こうとして、看護師に止められたこともある。

「神代さん、まだ病棟から離れる許可は出てませんよ」

「下に知り合いが来てるかもしれない」

「ご家族の方に確認してもらいましょう」

「家族じゃなくて、俺が確認したいんです」

 看護師を困らせていることは分かっていた。

 それでも、自分だけが閉じ込められているような感覚に耐えられなかった。

 美月は来ている。

 そう聞いている。

 なのに会えない。

 連絡もつかない。

 どこかがおかしい。

 だが、事故直後の怜司には、その違和感を突き詰めるだけの体力も自由もなかった。

     ◇

「相沢さんは、もう来ないそうよ」

 沙耶がそう告げたのは、意識が戻ってから一週間ほど経った頃だった。

 怜司はベッドの上でリハビリ用の資料を読んでいた。

 意味を理解するまで、少し時間がかかった。

「何で」

「本人がそう決めたから」

「俺は一度も会ってない」

「会う必要がないと思ったのでしょう」

「それ、本人が言ったのか」

「何度同じことを聞くの?」

 沙耶はわずかに疲れた顔をした。

「怜司、あなたも現実を見なさい。相沢さんは、今回の事故をきっかけにあなたとの関係を終わらせたいと言っている」

「何で俺本人に言わない」

「会えば言えなくなると思ったんじゃない?」

「そんな女じゃない」

「あなたがそう信じたいだけかもしれないでしょう」

 怜司は資料を閉じた。

「母さん、美月が何て言ったのか、そのまま教えてくれ」

 沙耶は少し迷ったあと、口を開いた。

「あなたの家と関わることに疲れた。もう普通の生活へ戻りたい。あなたとはこれ以上続けられない、と」

「……それだけ?」

「それだけではありません」

 沙耶の声音が少し変わった。

「こちらから今後の生活について話をしたところ、相沢さんは条件を受け入れました」

「条件?」

「金銭的な補償よ」

 怜司は理解できなかった。

「何の補償だ」

「交際を終えるにあたって、です」

 怜司はしばらく母親を見た。

 冗談を言っているようには見えなかった。

「美月が金を受け取った?」

「そうです」

「いくら」

「額を聞いてどうするの?」

「いいから答えろ」

「怜司」

「答えてくれ」

 沙耶は小さく息を吐いた。

「まとまった金額です。あなたの名前を出す必要はないでしょう。彼女自身も、それで納得しました」

「嘘だ」

 即座に出た言葉だった。

「美月はそんなことしない」

「あなたは、彼女のすべてを知っているつもりなの?」

「少なくとも、金で俺と別れる女じゃない」

「恋愛中の人間が相手を美化するのは珍しいことではありません」

「そういう話じゃない」

 声が大きくなり、傷んだ胸に響いた。

 痛みで顔を歪めると、沙耶がすぐ立ち上がった。

「無理をしないで。今あなたが感情的になっても——」

「感情的にもなるだろ」

 怜司は母を睨んだ。

「事故に遭って、目が覚めたら恋人が消えてて、その理由が金をもらったからだって言われて、冷静でいろってほうがおかしい」

「だからこそ、今は体を治しなさいと言っているの」

「証拠は?」

「何?」

「美月が金を受け取った証拠」

 沙耶は眉を寄せた。

「今ここでそんなものを見せる必要があるの?」

「ある」

「彼女が自分から関係を終わらせた、それで十分でしょう」

「十分じゃない」

 怜司はそこで初めて、はっきりと母親を疑った。

 けれど、その疑いはまだ小さかった。

 沙耶が美月を快く思っていないことは知っている。

 それでも、息子が事故に遭った状況で、こんな大きな嘘をつくとは考えたくなかった。

「美月と直接話す」

「だから、本人が望んでいないのよ」

「番号は変わってない。連絡する」

「何度連絡しても返事がないのでしょう?」

 怜司は言葉に詰まった。

 それが一番つらかった。

 沙耶の話を疑う材料はいくつもある。

 けれど、美月本人から何も返ってこない。

 それがすべての疑いを鈍らせた。

     ◇

 退院へ向けたリハビリが始まってからも、怜司は美月へ連絡し続けた。

 一日に何十件も送るようなことはしなかった。

 それは美月が嫌がると分かっていた。

『話がしたい』

『金を受け取ったって本当か』

『一度だけでいいから返事をくれ』

 送った。

 待った。

 返事は来ない。

 やがて、美月の番号は繋がらなくなった。

「番号を変えたのか」

 怜司は友人に連絡した。

 大学時代に美月と付き合いのあった人間へ片っ端から聞いた。

『最近、美月と連絡取ってる?』

 返ってきたのは、どれも曖昧な返事だった。

『しばらく会ってない』

『仕事辞めたって聞いたような』

『引っ越したらしいよ』

 誰も住所を知らない。

 少なくとも、怜司に教えられる人間はいなかった。

 それが偶然だったのか、それとも誰かが先回りしていたのか。

 今の怜司なら疑ったかもしれない。

 けれど二十四歳の怜司には、自分が最も恐れている答えへ少しずつ追い込まれていくようにしか思えなかった。

 美月は本当に、自分から消えたのではないか。

     ◇

「これを見れば、もう納得するでしょう」

 ある午後、沙耶が一枚の書類を持って病室へ来た。

 怜司は無言で受け取った。

 銀行の振込記録の写しだった。

 神代家が管理する口座から、まとまった金額が出ている。

 受取人欄には、相沢美月の名前。

 怜司は何度も見た。

「本人の口座?」

「そう聞いています」

「聞いてる?」

「実務は担当者に任せていますから、私が直接処理したわけではありません」

 振込先の詳細までは載っていない。

 名義だけ。

 それでも当時の怜司にとっては、十分すぎる証拠に見えた。

「……いくらだ」

 沙耶が答えた金額は、二十二歳の美月が簡単に無視できるような額ではなかった。

 怜司は紙を握った。

 頭では、まだ信じるなと言っていた。

 銀行記録だって確認すればいい。

 本人に聞けばいい。

 けれど、その本人がいない。

 電話は繋がらない。

 手紙も来ない。

 友人も居場所を知らない。

 そして、金だけが動いている。

「いつ受け取った」

「あなたが意識を取り戻した頃よ」

 怜司は目を閉じた。

 タイミングまで最悪だった。

 自分が目を覚ました頃、美月は金を受け取って消えた。

 そう考えれば、話はつながってしまう。

 つながってしまうからこそ、苦しかった。

「……何で」

 呟きが漏れた。

「何で、俺に一言もないんだよ」

 沙耶は答えなかった。

     ◇

 退院したあと、怜司は一度だけ、美月が暮らしていた部屋へ行った。

 事故前には何度も通った場所だった。

 狭い玄関。

 二人で選んだカーテン。

 壊れかけの炊飯器。

 夏になるとやたら暑くなるキッチン。

 全部覚えていた。

 だが、そこにはもう別の名字が表札に出ていた。

 管理会社へ聞いても、個人情報を理由に転居先は教えてもらえない。

 当然だった。

 建物の前で立ち尽くしていると、以前何度か顔を合わせた近所の女性が怜司に気づいた。

「あら、美月ちゃんのお知り合い?」

「はい。引っ越したって聞いて」

「そうなのよ。急だったからびっくりしたわ。若いのに大変そうだったけどねえ」

「大変そう?」

「ええ、まあ……」

 女性は何か言いかけ、他人の事情へ踏み込みすぎたと思ったのか口を閉じた。

「転居先、知りませんか」

「ごめんなさい、そこまでは。荷物もそんなに多くなかったし、身軽に出たみたいよ」

 身軽に。

 その言葉が妙に残った。

 怜司は礼を言い、建物を離れた。

 事故前、自分は美月と将来の話までしていた。

 結婚という言葉を具体的に出したことはまだ少なかったが、どこに住みたいか、仕事をどうしたいか、くだらない話の延長で何度も未来を共有した。

 それが、自分が眠っている数日のあいだに消えた。

     ◇

 その夜、怜司は実家の自室で一人、美月とのメッセージ履歴を見返した。

 事故当日のやり取り。

『今日遅くなる。飯食ってていい』

『言われなくても食べます。自分がいないと私が夕飯も食べない女みたいに言わないで』

『帰りにプリン買う』

『話聞いてる?』

 そこまで。

 何度見ても、別れの予兆など見つからない。

 怒っている様子もない。

 距離を置きたい人間の言葉にも見えない。

「……何なんだよ」

 スマートフォンをベッドへ投げた。

 信じたくなかった。

 美月が金を選んだことも。

 何も言わず自分を捨てたことも。

 全部、何かの間違いだと思いたかった。

 だが、美月本人が何も言ってくれない。

 人は沈黙に、自分が最も恐れている意味を勝手につける。

 当時の怜司は、それを知らなかった。

 返事がない。

 だから美月は自分を捨てた。

 姿を消した。

 だから会いたくないのだ。

 金が動いた。

 だから本当に金を受け取った。

 一つひとつは証明にならないはずなのに、積み重なるほど怜司には真実のように見えた。

     ◇

 数週間後、沙耶は息子が復職へ向けて動き始めたのを見て、ようやく安堵したようだった。

「仕事は焦らなくてもいいのよ」

「家で寝てるほうが頭がおかしくなる」

「まだ体は完全ではないでしょう」

「医師の許可は取ってる」

 怜司はネクタイを締めた。

 鏡の中の自分は、事故前より少し痩せている。

 顔色もいいとは言えない。

 でも止まっていたくなかった。

「怜司」

 沙耶に呼ばれ、振り返る。

「相沢さんのことは、もう忘れなさい」

 怜司はしばらく母を見た。

「簡単に言うな」

「簡単ではないから言っているの。いつまでも追いかけて、自分を傷つける必要はないでしょう」

「忘れるかどうかは俺が決める」

「そうね」

 沙耶はそれ以上言わなかった。

 当時の怜司には、その沈黙が母親なりの気遣いに見えていた。

 自分がどれほど愚かだったか。

 七年後の怜司は、ようやく知り始めている。

     ◇

 現在。

 怜司は会社の執務室で、七年前の入院記録について秘書から届いた返信を読んでいた。

『医療情報そのものについては、ご本人であっても保存期間や病院側の規定により確認できる範囲が限られます。ただし、当時の入退院記録、請求関係、一部の面会運用に関する資料については、正式な申請によって確認できる可能性があります』

 怜司は最後まで読み、椅子へ深くもたれた。

 七年前。

 自分は美月が金を受け取って消えたと信じた。

 それなのに昨日、美月は言った。

 一円も受け取っていない。

 何度も病院へ来た。

 手紙も渡した。

 さらに、自分の名前で書かれた別れの手紙まで受け取った。

 どちらかが嘘をついているなら話は簡単だ。

 だが、昨日の美月の顔を思い出すと、怜司にはそう思えなかった。

 彼女は七年前の出来事を、本気で信じている。

 自分もまた、七年間信じてきた。

 ならば問題は別のところにある。

 誰かが、二人へ別々の真実を見せた。

 その可能性が、もう無視できないところまで来ている。

 怜司は机の引き出しを開けた。

 そこには一枚の紙が入っている。

 事故後に沙耶から見せられ、その後自分でも保管していた振込記録の写し。

 相沢美月という名前。

 金額。

 日付。

 七年間、これを見るたびに胸が冷えた。

 彼女が自分より金を選んだ証拠だと思っていた。

 けれど今は違う。

「……これ、本当に美月の口座だったのか?」

 初めて、そこから疑った。

 当時は確認しなかった。

 いや、確認したつもりになっていた。

 名義が同じだから。

 母親がそう言ったから。

 美月がいなくなったから。

 自分にとって都合の悪い情報ほど、証拠らしく見えてしまった。

 怜司はスマートフォンを手に取り、秘書へ連絡した。

「七年前の振込記録について確認したい。正当な権限で追える範囲だけでいい。元帳と処理担当者、それから振込先金融機関の記録が残っているか調べてくれ」

『承知しました。案件名はどうしますか?』

「個人案件でいい。それと、俺以外にはまだ共有しないでくれ」

『かしこまりました』

 通話を切る。

 そのあと、怜司は長いあいだ机の上の紙を見つめていた。

 七年前、美月を疑った。

 傷ついた自分を守るために、彼女が悪かったのだと信じた。

 もし、それが全部間違っていたなら。

 自分が失ったのは恋人だけではない。

 昨日見た、六歳の少年。

 相沢陽翔。

 その名前が頭に浮かぶ。

 もし陽翔が本当に自分の息子なら、自分は美月だけではなく、息子の六年間まで失っていたことになる。

 しかも、その始まりが誰かの嘘だったとしたら。

 怜司は紙を握りしめかけ、途中で手を止めた。

 証拠は壊せない。

 今は怒るより先に、確かめなければならない。

 七年前、自分が知らされた「相沢美月」という女性は、本当に美月本人だったのか。

 その答えを得るまで、もう何も信じないと決めた。

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